先日、NHKで末期ガンの看取り医師という番組をしていました。
末期ガンで余命わずかと宣告された医師。終末期の患者さんに穏やかな死を迎えさせてきた「看取りのスペシャリスト」と呼ばれた医師でした。これまでに数千人以上の看取った医師の「究極の理想の死」を450日を記録してドキュメンタリーでした。
私は、看護師として看取りの医療にいました。その時のことを思い出しながら、涙ながらに見ました。
薬も効かない
。
手術もできない。
日々、弱っていく肉体。
最後の残り限られた時間、 看護師の私にできることは何だろうと、いつもいつも考えていました。
一日一日を穏やかに過ごせるために、出来なくなることをお手伝することや、痛くないように、苦しくないように薬を投薬したりと。
一日一日を大切に看護していましたが、私たちの見解で「穏やかだった。」と思えることはあっても、本当にその人が望む、「理想の死」だったのか本人に確認することができません。
今回のドキュメンタリーをみて理想の死が少し分かったよな気がしました。
患者さんの看取りという場面で、「人の死」というもうのと向き合ってきたこの医師。テレビで自分の終末期の姿を伝え、そして私たちに「死」というものを考えるきっかけを提供する。その生き様こそがこの医師にとっての「究極の理想の死」だったように感じました。
終末期の患者さんは、上手に注射ができることや、医療者としての医療的な処置だけを求めているわけではありません。
話をきく、近くにいてほし時にいる、望むことができるようにお手伝いする。そんな「心とに寄り添う」は誰もが求めていました。
この医師にとっての心に寄り添ってほしことは、最後の最期まで「死」と向き合う、その生き方だったよに思います。
最後まで
家族と一緒に過ごしたい
食べたい、お酒が飲みたい
話を聞いてほしい
仕事がしていたい
自宅で過ごしたい
「理想の死」はひとりひとり違います。
「理想の生き方」ひとりひとり違います。
究極の理想の死とは、最期まで自分の生き様を貫けることではないでしょうか?
ふくやまじゅんこ
ココロとカラダの縁結び研究所